特別対談企画(前編)HIROTAホールディングス廣田氏に聞く、地域に特化した不動産管理会社の組織作りとテクノロジーとの向き合い方とは

內容

2022.04.26

「不動産管理会社のいまを知る」をテーマに、業界をリードするゲストをお迎えし、貴重なお話をお伺いする連載企画。第13回は、福岡県北九州市を拠点とし、地域の企業や資産家が求めるハイレベルな不動産ソリューションにワンストップで応える資産提案(ASSET PROPOSAL)企業を目指す、株式会社HIROTAホールディングス代表取締役 廣田豊氏にお話を伺いました。
前編では、廣田氏が家業の不動産のデパートひろた様に参画されるまでの過去や、「家業」を「企業」にするという想い、廣田氏が考えられるリーダーシップについてお聞きしました。(前編/全2回)

ゲストプロフィール

株式会社HIROTAホールディングス代表取締役 廣田 豊(ひろた ゆたか)氏 九州国際大学国際商学部を卒業後、積水ハウス(株)へ入社。

4年間住宅営業に従事したのち、1999年に父の政登会長が創業した同社に入社。2010年12月に社長就任。趣味はランニングとゴルフ。

目次

留学を機に世界を意識。スケールの大きなことがしたいと新卒で大手住宅メーカーへ

――まずは、廣田社長ご自身について伺わせてください。家業に戻られるまでの過去も教えていただけたら。

私は生まれも育ちも北九州で、一言でいえば「やんちゃな小僧」でした(笑)。幼少期に両親が不動産業を始めて、高度成長期に支えられて事業も順調でしたので、甘やかされて育ったところもあったかもしれません。そんな私の転機は大学時代の留学です。地元の大学に進学したのですが、両親の勧めもあって、3年次は休学してカリフォルニアで学生生活を送りました。それまでは生まれ育った北九州で人生が完結していたので、この経験は大きかったですね。さまざまな国籍やバックグラウンドの人たちと出会い、彼らの目線に近づきたいと世界を見据えるようになりました。その後、新卒で積水ハウスに入社しました。

――そうだったのですね。留学や大手住宅メーカーへの新卒入社は、家業を継ぐことを射程に入れられての選択でしたか。

いえ、実はそうではありません。両親は商売人のつらさをよく理解していたからか、後継について言葉に出すこともなく、私自身もあまり意識せずに育ちました。積水ハウスへの入社も修行という位置づけではなく、留学を機にどうすれば世界のレベルに近づけるのかを真剣に模索した結果、事業のスケールの大きさで入社を決めたというのが実際の経緯です。
積水ハウスに入社して目指したのは、トップになることでした。一番にならなければ自分の意見が通ることもないですし、とにかく上を目指そうと。とはいえ、最初の半年間は劣等生。新人研修で教わったとおりに飛び込み営業をしても、結果を出せない状況が続いていて。そんな折に上司から「君はいつ初契約を取れるのか」と問われ、恥ずかしいことに先輩に「私はいつ初契約を取れるのでしょうか」と聞いてしまったんですね。当然のことながら「取るのはお前だろ」と諭され、その瞬間に発想を切り替えることができました。飛び込み営業の代わりに自分のアイディアで進めたいと上司に伝えたところ、「その言葉を待っていた」と言ってもらい、それから退職までの4年間は自分で考えたことを実践する日々。ほぼトップの営業成績で走り続けました。

大切なのは自分で考えて行動し、成果を出していくこと

――ご自身で考えて動くという、まさに今の廣田社長の素地がつくられたのは新入社員時代だったのですね。

私の原点であり、ターニングポイントですね。上司や先輩、会社のやり方に依存するのではなく、自分で考えて成果を出していく大切さに気づけたことが、成長につながりました。このエピソードは今でも弊社の若手社員によく話すんですよ。標準的な意見や人真似でなんとかしようとするのではなく、自分の頭で考えて行動することが重要なんだよと。このように社内で自主性を推奨しているおかげで、弊社の社員は自発的に動いてくれるタイプが多いですね。

――ご自身の新入社員時代の学びが個人を超えて、今では組織の中で生きているということが素晴らしいですね。新卒から4年、順調にキャリアを積まれていたタイミングで家業にチャレンジの場を移されたのは、きっかけがあったのでしょうか。

きっかけはいくつかありますが、祖母が亡くなって、さらには要職にいた社員が離脱してしまい、両親が事業をたたもうとしていたことが一つですね。両親からは「継ぐつもりがあるのかないのか、気持ちを整理してほしい」と言われ、後継について真剣に考え始めました。
同時に、私自身としても積水ハウスで自社物件しか販売できないことにジレンマを感じていました。不動産であれば月極駐車場も家もビルも扱えてフィールドが広げられるので、家業が魅力的に見えてきたんですね。一方で、積水ハウスで働いたことで、組織は人材の育成や成長でもって存続していくということを体感し、こうした上場企業の組織力を不動産業界にも取り入れる必要性を認識していました。当時の不動産業界は小規模な不動産屋や個人ブローカーも多く、工務店は潰れていくのに住宅メーカーは残るという建築業界の寡占化は、いずれは不動産業界にも訪れるだろうと。この頃の弊社は20数名の従業員を抱えていましたが、チャンスがあるうちに「家業」を「企業」にし、不動産業界の組織の常識を変えていくことに人生をかけるのも面白いのではないかと考えたのです。そうした複合的なきっかけがあって、継ぐことを決心しました。

「家業」を「企業」にするために、組織に奥行きを持たせる仕組みを実践

――なるほど。「家業」を「企業」にするというミッションを持って、戻られたのですね。そうした発想が現在の御社の充実した組織制度につながっているのだと、理解が深まりました。

「企業」にしていくための組織化には、「総数を上げる」、「人を育てる」、「部署構成を整える」という要素を3Dで捉えることが大切です。家業に戻った20年前から考えていたのは、単純に組織の人数だけが増えても意味がなく、中間管理職層も充実させる必要があるということ。例えば、部長・課長クラスには、賃貸の経験に加えて、滞納督促やクレーム処理といった顧客折衝の経験も求められるので。そこで、全体の増員と並行して、さまざまな部署やポストをつくり、ジョブローテーション制度を活用して幅広い業務経験を持つ人材を増やしていきました。

――2020年にホールディングス化し、160名を擁する「企業」としての成長を遂げられたのも、20年前の構想の結果なのですね。御社の組織力を理解するためにも、改めて事業内容について教えていただけますか。

弊社のメインの事業は、賃貸仲介・賃貸管理・売買仲介です。現在では、不動産ソリューションやコインパーキングといった、メイン事業から派生した不動産関連の事業も増え、人数のいる部署は専業化させていきました。2〜3名の部署もあれば、賃貸仲介のように60名規模の部署もあります。
専業化・分業化を進めているのは、3Dで組織化を捉えることにつながっています。専業化・分業化すればスキルを集約させやすく、また習得しやすい。ジョブローテーションによって人を定期的に移動させることで、成長が推進され、結果的に高度な仕事ができる人が増えていきます。どの部署に入っても公平な評価を担保し、バランスよく成長できる人が増える仕組みになっているのが弊社の強みです。

リーダーがすべきことは、会社を支えてくれる社員に未来を示すこと

――御社では事業構成も人材育成につながっているのだと、全体像が理解できました。組織力を3Dで捉えるという先進的な取り組みを、20年前から一貫して実践されていたのですね。

5年先、10年先、会社がどうなっているかを見通すのが社長の仕事だと思うのです。会社のトップが未来も見えていない、どんな未来にしたいかの意思も持っていなければ、社員はついていけなくなってしまう。リーダーがすべきことは、会社を支えてくれる社員に未来を示すこと。そして、彼らにもその未来をリアリティを持って感じてもらえるようにすることだと考えます。
現オフィスに移転した5年前、社員も内心では「こんな広いところに移ってどうなるんだ」と思っていたようです(笑)。それでも私は「身の丈に必ず合うようになるから」と言い続けて、実際に事業数も社員数も増やしていきました。このように、彼らを連れて行きたい未来を描き続けることが私のやるべきことなんですよね。

――廣田社長がつくりたい組織の形は、御社のオフィスの随所に込められていますよね。3階のオフィスフロアから社員の方が階段で降りてくると広がるスペースは、「舞台(ステージ)」としてデザインされているとか。働かれている社員の方にとって、オフィスが輝ける舞台であり、誇れる場所であってほしいというメッセージになっていますよね。
個人的にも興味があるのですが、組織に奥行きを持たせていくと、社長と社員の間に距離ができますよね。そのあたりはどのように工夫されていますか。

組織に奥行きを持たせるための取り組みは20年前から実践していましたが、ほんの10年前まではすべての会議に出て、細かい数字も指摘していました。今は託せる社員が増え、前回の上半期総括会ではすべての部署に権限委譲ができました。私も楽になったなと思いましたよ(笑)。 それによって確かに社員との距離を感じる側面もあるかもしれませんが、それは必要な子離れみたいなもの。任せている業務以外で距離を縮める機会をつくることもできますよね。コロナ前は社員を食事に連れて行ったり、自宅に招いて「ボスホームパーティー」を開催したり、一体感をつくることを意識的かつ定期的に行うようにしていました。いざとなったときに距離を近づけることができれば良いのではないでしょうか。

私が家業に戻った頃は20数名だった社員の数も、50名、100名と増え、今では160名です。20名のときは毎月のように全員で食事をしていましたが、160名となるとそうはいかない。人数が増えればできることも変化するわけですから、コミュニケーションのあり方を適切なタイミングで適切な形に設計し直すように心がけています。

インタビュアー:WealthPark Founder & CEO 川田 隆太

株式会社HIROTAホールディングス

代表取締役 廣田 豊 北九州市八幡東区山王1丁目11番1号

会社ホームページ:https://corporate.re-hirota.co.jp

<本件に関するお問い合わせ先>

株式会社HIROTAホールディングス
代表メールアドレス: [email protected]
代表電話番号: 093-663-3934

WealthPark株式会社 広報担当
Mail:[email protected]

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總結
株式会社HIROTAホールディングスの代表取締役、廣田豊氏へのインタビュー。彼は家業の不動産業に戻る前に、積水ハウスでの経験を通じて自分で考え行動する重要性を学びました。留学を経て、世界を意識し、家業を企業として成長させる決意を固めました。家業継承のきっかけは、家族の事業の危機感からでした。