京アニ放火事件 あなたの描いた「勇気」をたどって | NHK | WEB特集

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京アニ放火事件 あなたの描いた「勇気」をたどって

「京都アニメーション」のスタジオが放火され、社員36人が死亡した事件から、あす(2024年7月18日)で5年。事件で亡くなった木上益治さんは、「木上に描けないものはない」と言われたすご腕のアニメーターでした。木上さんは、20代のとき、ある子ども向けの絵本を描いていました。若き日の木上さんが、絵本を通じて届けたかったものはなんだったのか。木上さんと長年、仕事をともにしていた本多敏行さんは、絵本をアニメーションにすることで、その思いと向き合ってきました。

(科学文化部・加川直央)

緻密な絵と動きのアニメを制作し、世界中のファンに愛されてきた京都アニメーション。

その作画を屋台骨として支えてきたのが、ベテランアニメーターの木上益治さん(享年61)でした。

若手の頃から頭角をあらわし、「AKIRA」や「火垂るの墓」のスタッフに起用されるなど、日本のアニメ史に刻まれる数々の名作に携わってきました。

京都アニメーションに入社してからは、後進の育成にも力を注ぎ、「仕上げ」や「動画」などの下請けだった会社を、自社制作のアニメでヒット作を連発する人気スタジオへと押し上げる原動力となりました。

業界では「木上に描けないものはない」と言われるすご腕の伝説的なアニメーターとして知られていましたが、みずから監督を務めた作品はごくわずか。もともと表に出たがらない性格で、インタビュー記事などもほとんど残されていません。木上さんがどんな思いでアニメ作りに携わっていたのか、どんな作品を作りたいと思っていたのか、謎に包まれたまま、この世を去ってしまいました。

その一端がかいま見えるのが、20代のときに描いた絵本です。

魔法使い見習いの少年「ジャム」が、みずからの心と向き合い成長する、「小さなジャムとゴブリンのオップ」という作品です。

キャラクターのデザインからストーリー、作画まで、1人で手がけました。

絵本は、木上さんが京アニに入社する前に働いていた制作会社に残されていました。

長年、その会社で木上さんと机を並べていた元同僚の本多敏行さんは、新人の頃から絵が抜群にうまかったことを強烈に覚えていると言います。

本多敏行さん「ふつうはリアルな絵柄とギャグの絵柄で得意なものがあるんですが、木上君はどちらも描けてしまう。刀を持った侍がふらふらするシーンの原画を私が描いて、木上君が動画を担当していたときのことですが、ふつうは原画の間の動きを描くだけのところを、彼は侍が一歩よろけるカットを足してきました。若手の頃から、こちらの期待を上回る動画をいつも描いてきて、完璧としか言いようがない仕事ぶりでした」

(2019年10月のインタビューより)

一度、台湾の制作会社と仕事をしたとき、現地のスタッフが木上さんの絵を見て「この人の絵はとてもうまいし、他の人と何かが違う」と指摘したこともありました。

誰もが認める圧倒的な画力を持ちながら、常に謙虚で控えめな性格で、後輩も決して呼び捨てにしない優しい性格だったといいます。

本多敏行さん「集合写真でも絶対に前に出ないし、自分より先に人を押し出すところが、彼の優しさの表れだったのかなと思います。みずから育てた人を監督にして、自分は常に縁の下の力持ちだったのではないかな。もっと自分が前に出てきてもいいのにな、と思っていました」

(2019年10月のインタビューより)

多くのアニメ作品の作画担当で引っ張りだこだったという木上さんが、忙しい合間を縫って描いていたのが「小さなジャムとゴブリンのオップ」でした。

事件のあと、本多さんが絵本を改めて読み返すと、あとがきに「子供達の夢を拡げるような作品を作りたい」と記されているのに気付きました。

もしかしたら木上さんは、小さな子どもに向けてアニメを作りたかったのかもしれないー。

本多敏行さん「うちの会社はずっと子ども向けの作品をやってきたから、木上君がこの絵本をうちに残してくれたのは示唆的なものがあると感じています。素晴らしい世界観を持った人間のことを作品に残したい。そういうことを生き残っている人間がやるしかないんじゃないか。それが供養になるのかもしれなし、自分たちの役目じゃないかなと思います」

(2019年10月のインタビューより)

事件から1年がたった2020年7月。本多さんは、木上さんを知るかつての同僚や、絵本に共感したアニメーターを集め、アニメの制作に向けて具体的な打ち合わせを始めました。

木上さんが絵本に込めた思いをどう受け継ぎ、アニメに落とし込んでいくか。

【スタッフ】「木上さんがもしいらしたら、どんな風に自分の作品を表現されたでしょうね。やっぱりこの味、この質感、大事に大事に表現するんでしょうね」【スタッフ】「やっぱり原画のぬくもりが出るような描写ができればいいなと思います」【本多さん】「木上君が持っていたテーマというのはもっと深いものがあるので、これを掘り下げて作るのは結構大変だと思うんだよね」

(2020年7月の取材より)

本多さんは、絵コンテを練りながら何度も絵本を読み返す中で、あるせりふに引っかかりを覚えました。

魔法使いの見習いの少年ジャムは、おじいさんから1度だけ魔法が使えるというパンを受け取り、「勇気を持てたとき、奇跡が起きる」と教わります。ジャムは、勇気を持つとはどういうことか、一生懸命考え始めます。階段の3段目から目をつぶって飛び降りたり、お皿を割ってしまったことを正直に話したり、大きな声でほえる化け猫の前を急いで駆け抜けたりしますが、魔法を使えるようにはなりません。そんなとき、出会ったのが友達のゴブリン、オップです。オップは、穴掘りの仕事でおなかを空かせていました。ジャムは、パンをあげようかと考えますが、パンを手放すと魔法が使えなくなってしまうと、一度はあげるのをやめて家に帰ろうとします。その帰り道、ジャムはなぜか心が苦しくなります。

悩んだ末、来た道を戻って、パンをゴブリンにあげることにしました。

すると、奇跡が起こり、魔法が使えるようになったのです。

人を思いやるのに大切なこと、必要なこと、それが勇気でした。

本多さんは、木上さんが、パンを分け与えることを「優しさ」ではなく「勇気」と表現したことに、強く惹かれました。

本多敏行さん
「勇気ってどちらかというと、飛び降りたり飛び込んだりするみたいなことだと教え込まれているので、自分が人のために何かをしてあげるのは勇気とは言わなくて、むしろ思いやりであるとか、そういう風に思ったんです」

本多さんは、木上さんが「勇気」ということばを選んだ意味について、スタッフと議論を重ねました。

思い出すのは、いつも黙々と作画に打ち込んでいた木上さんの後ろ姿です。

いつも自分よりも周りを優先し、自分の持てる力をアニメや後輩の育成にささげた木上さんが、パンをあげようかと思い悩むジャムの姿と重なりました。

本多敏行さん
「木上君は率先して何かをするタイプではなくて、自分よりも他人のことを優先するような人でした。いま思えば、本当に力と勇気がある人だからこそ、そういう行動ができたのではないかと思います。ジャムは、自分が魔法を使うことよりも空腹なオップを助けることを優先した結果、逆に魔法が使えるようになった。おじいさんはそれが分かっていたので、謎かけをしていたところがあると思います。勇気というのは行動を伴いますから、パンをあげるという行動まで結び付くことを考えて、木上君は勇気ということばをあえて使ったのかなと思います」

自分の欲望や願望を犠牲にしても、相手のことを思いやれるこころ。

そんな強いこころを持つことこそが勇気なのではないか。

そして、その勇気は、他人に強制されるのではなく、自分で気付き、決めていかなければならない。それこそが、大人になること、人間の成長ではないか。

本多さんはアニメのクライマックスに、原作には無かった、ジャムを導くおじいさんのせりふを付け足しました。

「自分で感じて、自分で考え、自分で行動するんじゃ」

本多敏行さん「ジャムが一生懸命考える、心の中での葛藤みたいなのが肝だと思うんです。誰かと出会い、友達と関わりながら成長していく。木上君が生きていたらそういうものを作り続けたのではないだろうかと思います」

(2024年1月インタビューより)

アニメはことし(2024年)完成し、今月(7月)6日に一般の観客向けに映画館で公開されました。

観客「自分が魔法を使えなくなるかもしれないのに、相手を思いやってパンを手放すことが勇気だったのかなと思います。そこに自分で気づけたことに、一番価値があることなんじゃないかなと受け取りました」観客

「こういう世の中で、とかく自分のことばかり考えることはあると思いますが、人のためにできるという勇気を持つことはすばらしいと思います」

本多敏行さん
「事件から5年たっても忘れないですよね。みんなが楽しく平和に暮らしている世の中を目指したいという思いを木上さんの絵本から感じますし、われわれが作ったアニメがそういうことに少しでも役立てばありがたいと思っています。喜んでくれているかわからないけど、木上君見てくれたー?という感じですね」

実は木上さんは、「小さなジャムとゴブリンのオップ」の絵本の続編を作ろうと、8話分のプロットとキャラクターデザインなどのイラストを描き残していました。

木上さんが膨大な仕事をこなしながら、コツコツとみずからの作品を描きためていたことに驚いたという本多さん。

こうした資料を元に「小さなジャムとゴブリンのオップ」のアニメの続きを描き、次の世代に届けることがみずからの使命だと感じています。

本多敏行さん
「いまでも作品を見れば彼を思い出しますし、大事な人を失ったという喪失感は大きいんですけど、それ以上に彼が残そうとしたものはなんだろうと考えることのほうが最近は増えてきました。木上君にも時間がかかっちゃったけどなんとかアニメができたからと報告もできたし、続きをさらに頑張りたいなと思います」

科学文化部 記者
加川 直央2015年入局京都局を経て2020年から現所属

主に文化やITの分野を取材

Resumir
京都アニメーションの放火事件から5年、伝説的アニメーター木上益治さんの思いを振り返る。彼は「小さなジャムとゴブリンのオップ」という絵本を描き、子どもたちの夢を広げる作品を目指していた。元同僚の本多敏行さんは、木上さんの優れた画力と謙虚な性格を語り、彼の思いをアニメにするプロジェクトを進めている。木上さんの作品は、彼の人柄とアニメ制作への情熱を今に伝えている。