ヘルベルトはまず魔力場を形成する。
時空魔法の実力は、未来の自分のアドバイスに従い訓練を繰り返すことで、メキメキと上達している最中だった。
彼は自分の身体がすっぽりと収まるサイズの大きな球形の場を作り……その中へと飛び込んだ。
あれから時空魔法の訓練を続けることで、ヘルベルトはアクセラレートとディレイという二つの初級時空魔法を、完全に自分の技術として使うことができるようになっている。
どちらも、かなり応用力の高い魔法だ。
だが今のところヘルベルトが重宝しているのは、決闘の勝利に貢献したディレイではなく、アクセラレートだった。
透明な球の中に入ったヘルベルトが――前進を開始する。
そして……通常の三倍の速度で動き出した。
高速で腕を振り、カクカクと足を動かしている様子は、異様そのもの。
だがヘルベルトは、あっという間にロデオと剣を打ち合える距離にまで近付いている。
「うおっ、相変わらず気味が悪い!」
「気味が悪い、言うなっ!」
アクセラレートは、今のヘルベルトに足りていない機動力やスピードを補ってくれる技術である。
アクセラレートのかけられた物の速度は、約三倍に上昇する。
以前は自分の放った魔法しか対象にならなかったが、練習を繰り返すうち、自分の身体も対象に入れることができるようになっていた。
つまりヘルベルトは、アクセラレートを使っている間だけは三倍の速さで移動することができる。
アクセラレートにより、ヘルベルトは常人では不可能な動きが可能になるのだ。
「シッ!」
ヘルベルトが振り下ろしを放つ。
三倍の速度で放たれたそれは、速度が上がった分威力も向上している。
かち上げて対応すると、ロデオが押し負けるほどの威力がある。
「ぬうんっ!」
ロデオは踏ん張り力を込めて、その一撃を受け止めきった。
だがその時には、ヘルベルトは既に二撃目の体勢に移っている。
まともにやり合うのを止め、ロデオは一気にバックステップで下がる。
だが現公爵家筆頭武官であるロデオよりも、三倍の速度で動くヘルベルトの方が速い。
彼は既にロデオの背後を取っており、突きの体勢に入っていた。
しかしロデオは後ろを見ぬまま、ヘルベルトの突き出した木剣に自分の剣を合わせてみせる。
「後ろに目でもついてるのかっ!」
「勘……ですな。あとは殺気でしょうか」
ヘルベルトはめげずに、再度突きを放つ。
向き直ったロデオはそれを受け止めようとし……失敗した。
思っていたよりもずっと、ヘルベルトの動きが遅いのだ。
それがヘルベルトがアクセラレートを解除しているのだと即座に気付き、本来の速度に合わせようと、ロデオは細かく歩数を刻み、動きを調整するためにステップを踏んだ。
その様子を見たヘルベルトが、にやりと笑う。
そして彼は、再度アクセラレートを発動。
再加速して勢いをつけ、全速前進。
高速移動しながら無理矢理体勢を変え、剣の腹でロデオの腹部を叩くことに成功した。
「よしっ、取った!」
「ふむ……まだまだ」
『ロデオに一撃を食らわせることができた!』――と喜んだのも束の間、次の瞬間にはヘルベルトは空を仰いでいた。
自分がカウンターを食らい投げられたのだと理解した瞬間、背中に息ができなくなるほどの衝撃がやってくる。
ゴホゴホとむせていると、口の中に土埃が入った。
ぺっぺっと土を吐き出し立ち上がると、にこやかな笑みを浮かべているロデオが手を差し出してくる。
「見事です、若。加速して元の速度に、そして再度加速と切り替えられたせいで、さすがに対応が遅れました」
「……ロデオに一撃入れるために、特訓したんだ。どうだ、俺もなかなかやるだろう」
「ええ、本当に。本当に、見違えましたなぁ……」
ロデオは遠い目をしてから、空を見上げる。
そしてこの一ヶ月間、毎日欠かさず土にまみれてきたヘルベルトと、彼としてきた特訓の日々を思い返す。
『まずは一撃入れてから』
この言葉は、公爵への取り次ぎを懇願してくるヘルベルトを諦めさせるための、方便というやつだった。
ウンルー公爵がヘルベルトに既に見切りをつけていることを、公爵家の陪臣で知らぬ者はいない。
ともすればヘルベルトの話題は触れることの許されない一種のタブーになっており、彼の話題を出すことは、暗黙の了解として禁止されていた。
ロデオもかつてはその身一つで道を切り開いてきた冒険者だった。
しかし今では妻がおり、かわいい娘がいて、立場のある身だ。
以前のように気軽に、どんなことでもできるような歳でもなくなってきた。
ここで公爵の勘気にでもふれようものなら、一家の未来は暗く、重たいドアに閉ざされてしまうことになるだろう。
だが、それでも……ここまでひたむきに頑張っているヘルベルトを見捨てることは、今のロデオにはできなかった。
「――そうですな……約束通り、マキシム様に話をしてみましょう」
「おおっ、本当か、ロデオ!」
「ただし、話をするだけですからな。そこから先話がどう転ぼうと、私は知らぬ存ぜぬを通します」
「ああ、それで構わないとも!」
キラキラと目を輝かせるヘルベルトを見ると、やりにくいことこの上なかった。
下手に駆け引きができない分、ロデオはこういうシンプルな攻められ方に弱いのだ。
(これが計算ずくだとすれば、若は大した策士だが……恐らくはただただ、本心からやられているに違いない)
他人の敵意や悪意といったものに敏感なロデオであっても、ヘルベルトという人間から邪気を感じ取ることはできなかった。
今のヘルベルトであれば……たとえマキシムと会ったとしても、そう悪いことにはならないだろう。
それに……これはマキシムのためでもある。
自分の息子が、賢者マリリンの次に現れた、時空魔法の使い手だった。
そんな王国の有史以来一二を争うほどの重要ごとを知らぬままヘルベルトを放逐すれば、後に発覚した場合、マキシムの求心力は急激に失われ、目が節穴だというそしりは免れないだろう。
更に付け加えるとすれば……純粋にロデオという一人の人間が、マキシムとヘルベルトが仲良くなることを望んでもいる。
帰ってきた神童と、今お仕えしている主。
二人は今は仲違いしているとはいえ、血を分けた家族なのだ。
両者共に尊敬しているロデオからすれば、二人が仲良くなってくれれば、それに勝る喜びはない。
(さて、どのように話を持っていくのがよいのか……)
ロデオは基本的に、頭脳労働が苦手である。
なので色々と悩ませた結果、マキシムに直談判してしまうことにした。
さて……その結果は、果たしてどうなったか。
端的に、結論だけを述べるのなら。
一週間後の、夕食時を終えた夜の七時。
ヘルベルトは余人を交えず、久方ぶりの親子の対話をすることとなった――。