『混沌のフリューゲル』。
その名の由来は、フリューゲル伯爵という一人の人物にある。
既に故人である彼は、元はこの地域を伯爵領として管轄する立場の人間だった。
伯爵領は、ある日魔物の大軍による襲撃を受けた。
隣接している森林からの、原因不明の魔物による攻撃。
統率の取れている魔物達の攻撃は激しく、伯爵はその中でもなんとか領民達を逃がしたという。
だが彼は領地のために最後まで戦い抜き……そして死んだ。
もう今よりも二百年以上も昔の話だ。
かつてフリューゲル伯爵が治めていたその地は、今では木々によって侵食され、森林と化している。
そして侵略してきた魔物達が居着くようになり、今では魔物の生息地帯へと変貌していた。
わずかながら残る、かつて暮らしていた人間達の生活の名残。
そしてそこを上書きするように大挙してやってきた魔物達と、新たに芽吹く草木達。
新旧二つの要素が混ざり合う場所。
故に、『混沌のフリューゲル』。
ヘルベルト達が向かおうとしているこの場所は、今では危険指定度C――つまりはCランク以上の冒険者パーティーによる探索が推奨されている危険地帯だ。
ヘルベルト達は今まで、魔物と戦闘をしたことがない。
地力が高いとはいえ、そんな彼らをいきなり『混沌のフリューゲル』へと入れるほど、ロデオは馬鹿ではなかった。
そのため彼らは、ヘルベルトが決めた少し遠回りなルートを進む道中、ロデオの勧めに従って魔物達との戦闘経験を積むことになる――。
「若もマーロンもこれが初めての実戦という形になる。魔力や体力の節約など考えず、まずは全力で戦ってみるとよろしい」
ロデオの言葉に、ヘルベルトとマーロンが頷く。
彼ら三人の視線は、自分達の方へと近付いてくる魔物へと向けられている。
緑色の体色に、子供ほどの体躯。
手には錆びた剣や石斧を持ち、腰蓑を巻いた簡素な格好をしている。
その魔物の名は……ゴブリン。
冒険者ギルドが出している討伐難易度はE。
冒険者であれば、装備さえ整っていれば初心者であっても倒せるようなそれほど強くはない魔物だ。
スライムとゴブリンは、魔物においては最弱の部類とされている。
「……」
「……」
けれどヘルベルトも、そしてマーロンも。
そんな最弱の魔物であるはずのゴブリンに、気圧されていた。
「ギェッ!」
「グギャアオッ!」
奇声を発しながら、歩いてくるゴブリン達。
それらは緑鬼とも呼ばれるのも納得できるほど、醜悪な容姿をしている。
こちらの命を奪うために、やってきているのだ。
――命のやり取り。
言葉にすれば陳腐だが……こうして目の前にある現実の、なんと生々しく、そして気味の悪いことか。
模擬戦ばかりやってきて実戦未経験のヘルベルト達には、目の前のゴブリンが、得体の知れない化け物に見えていた。
「――フッ、だが所詮は魔物。とりあえずまずは一当てだ」
まず前に出たのはヘルベルトだ。
今の彼はマキシムから与えられた、ワイバーンの革鎧を身につけている。
未だ真ん丸体型であるため、もちろんオーダーメイドで作ってもらった特注品だ。
「素材を大量に使ったせいで、普段の三倍近い値段がしたぞ。俺にこれを作ったことを後悔させないような男になって帰ってこい」
マキシムの言葉を思い出せば、気持ちはすぐに切り替えられた。
こんなところで、ビビっているわけにはいかない。
何せこれから、更に強力な魔物達のいる場所へと向かうのだから。
ヘルベルトは己の最も使い、慣れ親しんだ魔法を発動させる。
「フレイムランス!」
魔法は初級、中級、上級の三種類によって構成されている。
ヘルベルトは既に、四属性全属性の上級魔法を放つことが可能である。
けれどそれはあくまで、的当てや模擬戦等の、命のかかっていない場所での話。
実戦で使うとなると、最も使用回数も多く、慣れ親しんでいるものでなければ即座に使うことは難しい。
ヘルベルトが特に得意としているのは火魔法。
そして彼が放ったのは、最も使い慣れた中級火魔法のフレイムランスだ。
火魔法は魔法の級がわかりやすいことで有名だ。
ファイア○○の魔法名となるものが初級、フレイム○○となるものが中級、そしてブレイズ○○となるものが上級である。
ヘルベルトが放った炎の槍は、こちらへやってきていたゴブリンの胸に吸い込まれるように飛んでいく。
「ア……アッギャアアアアアアアアア!」
フレイムランスは見事ゴブリンの胸部に的中。
そしてそのまま……ゴブリンは地面へ倒れ込み息絶えた。
「なんだ……やってみればあっけないな」
終わってみれば、先ほどまで気圧されていた自分が情けなくなるほどにあっという間のことだった。
ヘルベルトはフンと鼻を鳴らしてから、ちらと横を向く。
そこには、未だその場から動かぬマーロンの姿があった。
「俺達は進まねばならない。立ち止まっている暇はないぞ」
「――ああ、わかってる。ライトアロー!」
マーロンもヘルベルトに負けじと、初級光魔法ライトアローを打ち込む。
そして無事命中し、ゴブリンは倒れ、そして起き上がってこなかった。
「ヘルベルト様、今見てわかった通り、ゴブリンであればファイアアローでも十分に倒せます」
「ああ、ついいつもの癖でな。次はないようにする」
「よろしい」
魔法は発動までに三つの行程を踏む。
最初に、使う魔法を脳内で選択する。
次にイメージしながら、魔力を練り上げる。
最後に体内で練り上げた魔力を放出し、魔法へと変える。
この三つの行程をほとんど意識せず行える、最も習熟した魔法がフレイムランスだった。
そのためゴブリンに対して、過剰な火力を叩き込んでしまった。
「さて、それではまだまだいきますよ。あいにく少し都会から外れていますし、魔物には事欠かないでしょうから」
ロデオのスパルタぶりは、初めて実戦をしたばかりの二人に対しても変わることはなかった。
新たに魔物を見つければ、即座に戦闘。
魔力が減ってくれば、今度は回復してくるまで接近戦のみで魔物を倒す。
そんなことを何度も繰り返しているうち、戦いの時の手の抜き方というものがわかってくる。
高すぎる火力で敵を一撃で沈めずとも、軽く火で炙って剣で倒すということもできる。
砂を握って相手の目潰しをしてもなんら問題はない。
型稽古とは違い、実戦にタブーはないからだ。
二人はゴブリンやスライムを始めとする討伐難易度Eの魔物から、オークやオーガのような討伐難易度Dの魔物まで、色々な魔物達と手合わせをする羽目になった。
彼らはくたくたになりながら、なんとか第一の目的地である村に到着したのだった――。