北方謙三『岳飛伝 十七 星斗の章』 国を変える、国は変わる――希望の物語、完結 - 時代伝奇夢中道 主水血笑録

Inhalt

 ついにこの時がやってきました。『水滸伝』全19巻、『楊令伝』全15巻、そして『岳飛伝』全17巻――50巻を超える北方大水滸伝の大団円であります。南宋と金に対して繰り広げてきた岳飛と梁山泊の戦いもついに決着――その戦いを決したものは何か、そしてその先になにが待つのか……?

 果てることなく続く岳飛&秦容軍と南宋軍の、梁山泊軍と金軍の大決戦。奮闘を続ける岳飛たちですが、南宋と金――一つの「国」丸ごとを相手にして、そうそう簡単に決着が着くはずがありません。
 そんな中、死闘の間の一瞬をついてついに史進が兀朮を斃すも、自ら瀕死の重傷を負って……

 というラスト直前に最高に気になる引きで終わった前巻。深手を負い、戦線を離脱することになったものの史進は命を繋ぎ、その一方で兀朮亡き金は崩壊目前――と思いきや、むしろ兀朮という「顔」を無くした金軍は、最後の兵力十万を加えた数の力で梁山泊を圧倒することになります。

 一方、これまでの奇策の応酬はなりを潜め、正面からの戦いとなった岳飛&秦容と、南宋軍総帥・程雲の戦いは長期戦の様相。さらに海上では張朔の梁山泊水軍と夏悦の南宋水軍が決戦の場を求め、そして岳飛たちの留守を守る南方では、不気味な動きを見せる許礼を留守番部隊が迎え撃ち……

 と、前巻以上に戦いまた戦いの連続。史進の「帰郷」や、胡土児の旅立ちなども描かれるものの、物語のほとんど全ては、最後の決戦に費やされると言って過言ではありません。

 しかしその決戦の姿は、これまでの物語で描かれてきた血沸き肉躍るような戦人と戦人の、武人と武人との戦いとはほとんど異なる様相を呈することになります。

 その姿は――特に梁山泊軍と金軍の戦いは――壮絶な潰し合い、殲滅戦とでも言うべきもの。ただひたすらに相手を殺し、殺され、最後の一兵まで斃されるまでは続くような、そんなある種不気味な戦いであります。

 それは残念ながらと言うべきか、戦いのあり方は、既にかつての英雄同士のそれとは異なる、一種システマチックなものとなったということなのでしょう。
 少なくとも、かつての「国」を無くそうとしている――そしてその手段として敵の兵力を無くそうとする――梁山泊にとって、その戦いはある種当然の帰結かもしれません。そしてそれに自分たちが苦しめられるのもまた、当然なのかもしれません。

 それでも、戦いは人が行うものであります。少なくとも、本作で描かれる岳飛と秦容、呼延凌は、人としての顔を以て、戦いに臨んでいるのですから。

 だからこそ、本作のクライマックスで、ついに南方から駆けつけた秦容と呼延凌の再会シーンは、そしてさらに岳飛が驚くべき数の義勇軍を率いて戦場に現れる場面は、熱く熱く盛り上がるのであります。

 特に後者は、岳飛の尽忠報国の戦いの――いや、そこに至るまでの梁山泊の、そこに集い、連なる男たちの命がたどり着いた一つの夢と希望の姿として、この大水滸伝の掉尾を飾る名場面でしょう。
 それはあまりにも理想的に過ぎるのかもしれませんが――革命というものに熱い共感を寄せてきた作者が描いてきた大水滸伝の結末において、いや、民衆の反骨と希望の象徴であった「水滸伝」の名を冠する物語の結末として、誠に相応しいものであったと言うべきでしょう。

 そしてその希望の象徴として、現実世界において長きに渡り愛されてきた岳飛が、この物語のタイトルロールであるのも当然の帰結であった、と今更ながらに感じた次第です

 以前に、北方『水滸伝』は国を壊す物語、『楊令伝』は国を造る物語と評したことがありました。

 そうだとすればこの『岳飛伝』は、国を変える物語――いや、国は変わることを描く物語だったのではないかと、ここに至り感じます。

 そして一つの物語は終わり、そして歴史の中に埋もれていく、回帰していくことになります(本来であればはるか以前に死んでいた岳飛の、ラストでの姿はその象徴でしょう)。
 しかしそこで描かれたものは、いつまでもこちらの心に残り続けることでしょう。自分たちがどこにいるのか、そして自分たちに何ができるのかを問いかけ示す、そんな希望の物語として……

『岳飛伝 十七 星斗の章』(北方謙三 集英社文庫) Amazon
岳飛伝 十七 星斗の章 (集英社文庫)

関連記事
 北方謙三『岳飛伝 一 三霊の章』 国を壊し、国を造り、そして国を……
 北方謙三『岳飛伝 二 飛流の章』 去りゆく武人、変わりゆく梁山泊
 北方謙三『岳飛伝 三 嘶鳴の章』 そして一人で歩み始めた者たち
 北方謙三『岳飛伝 四 日暈の章』 総力戦、岳飛vs兀朮 そしてその先に見える国の姿
 北方謙三『岳飛伝 五 紅星の章』 決戦の終わり、一つの時代の終わり
 北方謙三『岳飛伝 六 転遠の章』 岳飛死す、そして本当の物語の始まり
 北方謙三『岳飛伝 七 懸軍の章』 真の戦いはここから始まる
 北方謙三『岳飛伝 八 龍蟠の章』 岳飛の在り方、梁山泊の在り方
 北方謙三『岳飛伝 九 曉角の章』 これまでにない戦場、これまでにない敵
 北方謙三『岳飛伝 十 天雷の章』 幾多の戦いと三人の若者が掴んだ幸せ
 北方謙三『岳飛伝 十一 烽燧の章』 戦場に咲く花、散る命
 北方謙三『岳飛伝 十二 瓢風の章』 海上と南方の激闘、そして去りゆく男
 北方謙三『岳飛伝 十三 蒼波の章』 健在、老二龍の梁山泊流
 北方謙三『岳飛伝 十四 撃撞の章』 決戦目前、岳飛北進す
 北方謙三『岳飛伝 十五 照影の章』 ついに始まる東西南北中央の大決戦
 北方謙三『岳飛伝 十六 戎旌の章』 昔の生き様を背負う者、次代を担う者――そして決戦は続く

Zusammenfassen
『岳飛伝』の最終巻では、岳飛と梁山泊の戦いがクライマックスを迎え、壮絶な戦闘が繰り広げられる。南宋と金の軍勢との決戦は、かつての英雄的な戦いとは異なり、システマチックな殲滅戦となる。物語は希望の象徴である岳飛の姿を通じて、国を変える物語として締めくくられ、読者に深い感動を与える。